東北で唯一訪れたことなかった秋田
なまはげ と きりたんぽ
くらいしかなかったイメージが一新した
秋田美人といく夏の秋田旅
北秋田編
旅のはじまりは大館能代空港から車ですぐのこちら
伊勢道岱遺跡
ここは約4000年前のストーンサークルを中心とする
縄文遺跡
縄文遺跡といえば青森・三内丸山遺跡が有名だけど、実は北海道から九州まで分布している。
特に北海道〜秋田にかけての
北海道・北東北の縄文遺跡群は
縄文人の世界観や社会構造を復元できる貴重な遺跡として
伊勢堂岱遺跡 世界遺産候補「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」
https://www.city.kitaakita.akita.jp/isedotai/
縄文時代って?
そもそも日本列島に人の痕跡が残っているのは約10万年前ころ。
そして、約1万3000年程前に土器を用いた縄文時代がはじまり
2300年前ころまで続いていたそう。
その歴史およそ1万年
「縄文時代って弥生時代のちょっと前でしょ」くらいに思ってたけど、
数百年の歴史の弥生時代と比較すると長!
縄文時代=狩猟
弥生時代=農耕
てイメージもあったけど、
1万年前ころには小規模な集落をつくて定住しはじめて、
6000年前ころには漆や栗などの栽培をしはじめていたそう。
数千年前の漆の色が今も残っているのびっくり!
土偶
土偶が作られたのもこのころから。
個人的に土偶といえばコレ
発見された土偶のほとんどはどこかしらが破損していて
「祭事の時に生贄がわりに壊した」
「病気の治癒祈願で対象部位を壊した」などと言われている。
近年言われている説が、
土偶は女性、特に妊婦を象徴していて、
「生」の象徴として妊婦をかたどった土偶を崇めたんじゃないか?というもの。
伊勢道岱遺跡でもストーンサークルの周りから壊れた土偶が発見されていて
「祭事の時に用いていた」と考えられているそう。
今でも山は信仰の対象とされているけれど、元々はとぐろを巻いた蛇の形になぞらえて崇められていたそう。
蛇は脱皮を繰り返すことから「再生」の象徴とされていた。
「生」を崇めるためのキー。
そう考えると、縄文の人たちはいまよりも「生」というものに真正面にとらえていたのかも。
そんな風に遥か昔のご先祖さまの時代に想いを馳せることができるなんて幸せ縄文文化おもしろい。
数千年の時を超えた出会いの次は
寒風山・八郎潟
男鹿半島の付け根部分に位置する寒風山
案内してくれた秋田美人が
「阿蘇山みたいで好きなの」と言っていた通り
フカフカした緑のいい感じ。
それもそのはず、
ここは3万年以上前に始まった火山活動でできたカルデラ地形
何度も繰り返された火山活動で安山岩が積み重なってできた山は、
その表面を薄い表土と芝生が覆っていて、フカフカいい感じになっているのだ。
そして、山自体も魅力的だが、そこから見える景色も絶景
標高355mと東京タワーより数十m高いくらいなのだけど
天気がよければ鳥海山もくっきり見えるそう。
そして、眼下に見える大潟村がまたすごい。
もともとは琵琶湖についで日本で二番目の大きさの湖・八郎潟
しじみやカレイなどが取れていた巨大な湖を干拓して陸地化し農地としたのが
今の大潟村。
「豊かな湖を埋め立てて農地にするなんて昔の人は無茶するなー」
て思ったら、ここが埋め建てられたのは第二次世界大戦後。
戦後の食糧難の時代だったらしょうがないのかなぁ。
そんな数万年〜数十年前に思いを馳せた
北秋田・悠久の歴史と絶景スポット巡り
天気に良い日におすすめです。
つづく