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お金のいらない国

お金のいらない国

 

ZOZO代表・前澤さんがおすすめしてて気になった。

 

お金のいらない国って?

 

主人公は《「お金」が存在しない国》に迷い込んだ現代人。

 

「お金」という存在がない世界では

 

欲したものは得られる。

 

カフェに入って、

コーヒーを頼んで

飲み終わったら

「ごちそうさま」て言って店を出ればいい。

 

何かしてもらったら「お金を払う」て意識がない。

 

だから「生活のために働かないといけない」人はいない。

 

でも働いている人がいて、世界がまわっている。

 

働かなくても生きていける。

 

それなのに、なぜ働くか?

 

それは「やりたい」から。

 

やりたいから働く。

だから嫌だと思いながら仕事を続ける人はいない。

 

現代人からすると理想郷のような世界。

 

そもそも「お金」って

 

「お金」は元は物々交換の代替手段。

便利な道具ではあるけど、そのものには本来大した価値はない。

ちょっと変わった印刷がされた紙と小さな金属片。

 

だけど「お金」がある国の私達は

便利な道具である「お金」そのものに価値を与えて

 

「お金」を自分の行動の判断基準にしがち。

 

「あれやりたいけど、お金がないから...」とか。

「安いからこれにしよう」とか。

 

”自分は本当はどうしたいか”

 

「お金」という基準がない

「お金」の存在しない国の人の方が真剣に考えている。

 

てところまでが1巻。

 

 

 2巻のテーマは「結婚と家族」

 

お金のいらない国 (2)

 

結論から言ってしまうと

 

お金のいらない国に「結婚」の制度はない。

 

一緒に居たかったら一緒に居て

そうでなくなったら別れる。

その形にルールはない。

 

「結婚」てルールが当たり前の世界からみたら

えっ!?て思うけど

そもそもそれって当事者同士の話。

 

血の繋がった相手でさえ「合う・合わない」があるのだから

いま一緒に居たい相手と10年後も一緒に居たいかなんてわからない。

 

子供が生まれたらどうするの?

て聞いたら「個人」として登録する。

◯◯と◎◎の子でなく「個人」

 

ちょっとアッサリしてる感じもするけど

そもそも「個人」だもんね。

 

じゃあなんで現代社会では「結婚」ってルールが

あるんだろうって考えたら

そこにも「お金」の存在が。

 

ルールで明記することで

結婚からはじまる家族の形が変わる際の

お金の所在を明らかにする。

 

「お金」の存在で家族の形まで定義されてるよう。

 

 

本で描かれている

「お金の存在しないコミュニティ」

「結婚という制度のないコミュニティ」

 て、理想論の新興宗教だって言われそうだけど

そう思うのがそもその「お金」信仰に浸ってる証拠なのかなあ。

 

 

「お金」って基準を一旦置いて

 

”自分はどうしたいか"

 

を基準にした世界

 

みてみたいな。

 

 

お金のいらない国

お金のいらない国

 

 

 

お金のいらない国 (2)

お金のいらない国 (2)